2010年5月12日水曜日

フルクサス

フルクサスは多様な側面を持つ「グループ」なので、中川の解釈も、色々ある解釈のうちの一つ、です。
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フルクサスの映像資料はオンラインにかなりあります。
ubu.comにはFluxus Anthology37 Short Fluxus Filmsもあります。
フルクサスの「イベント」を集めたfluxus performance workbookも、色々なところからダウンロードできます。ここからもできるようです。

You tubeにもかなりあります。

けっこう典型的な「イベント」の例として、二つ埋め込んでおきます。
Geroge Brecht, Drip Music, 1959
パフォーマンス自体は最近なされたものみたいです。


Nam June Paik, One for Violin (Solo),1962です。
2007年のパフォーマンスみたいです。(このイベントのタイトルは"Solo for Violin"じゃないと思いますが…。)


途中で、「日常の芸術化」という観点からネオ・ダダとポップ・アートに言及します。
ロバート・ラウシェンバーグ《モノグラム》(1955-59):「ネオダダ」の例として使い易い作品(コンバイン絵画)です。


リチャード・ハミルトン《一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか》(1956):最初のポップ・アートです。
Richard Hamilton

授業では「フルクサスの音楽」に焦点を絞り、「楽器の破壊音」をケージ以降の音楽的素材の拡大ゲームに終止符を打とうとする身振り、として解釈する予定です。
けっこう強引な解釈ですが、「イベント」というパフォーマンスと、それらが「ゲンダイオンガク」のコンテクストの中に提示されたこと、を知ってください。
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「ハプニング」(以下のようなもの)も「イベント」も、一般名詞だけど、モダン・アートではジャンル名の一つとして使われます。
ちょっと奇妙な感じかもしれないですね。

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